カツオの独り言~那覇の酒場から酔狂日記~

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真嘉比南公園に行ってきた

ユニオン行くついでに。

このあたりは戦時中アメリカ軍がハーフムーンと勝手に名前をつけて攻撃目標にした場所で、日本軍からすればシュガーローフ(そのうち書くね)同様那覇防衛の最終ラインであった。
昔の地図を見たら、ハーフムーンといわれても「まぁ、そんなに言うんだったら、見えないこともないよ」というレベルだったが、とにかくこの地で日本軍は人員・物量共に圧倒的に差があったアメリ海兵隊と対峙して1週間に渡り互角の戦いを繰り広げた場所だ。

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戦後この一帯はアメリカ軍に接収され、1987年に全面返還されるまではアメリカ軍関係者の住宅が建ち並びフェンスで囲まれていた。わかりやすく言えば、阪神タイガースが日本一になった時はまだ「アメリカ」だったのだ。
そして真嘉比地区は畑もお墓も手付かずのまま荒れ放題だったと聞く。

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そして、この一帯が返還になり、「新都心」などと呼ばれるようになり再開発が始まったところ、まぁ、出るわ出るわ、人骨や砲弾の破片や武器弾薬の残骸、兵士の携行品の数々が。

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ちなみに2枚目の画像のモニュメントの上の部分の長方形の壁のようなものは、銃弾がぶち当たった痕跡がはっきり残っているものを保存・公開しているのである。

そして、この一帯からその「出るわ出るわ」の一部がこうして公園内で我々も見ることができる。

かつて地元の真嘉比小学校の生徒(社会科学習)とリーマンショックに伴う緊急雇用対策の一環で雇われた人たちによる遺骨収集作業が行われた際には、ほんの2~3ヶ月の間に210人分の遺骨を収集したそうだ。

それでもまだここに眠る日米両軍の兵士の遺骨収集には遠く及ばず、

宅地造成のため、全部ガサーッと埋めてしまうしかなかったのが実情である。

すぐ近くの真嘉比中央公園には昔からの亀甲墓が並ぶ。

だからなのか、たまたま一緒に付き合ってもらった、霊感とは全く無縁のうちの嫁は「真嘉比は気が悪い。絶対住みたくない」と不機嫌になってしまった。

那覇市内に戦争の痕跡を残す場所がほぼ皆無になった今、それを感じさせる貴重な場所である。ただしそのハーフムーンの面影は全くない。