「沖縄修学旅行の平和学習」せっかく学ぶならここへ~第2回「シュガーローフ」~
今更なんだが。
学校の歴史の授業ではまず取り上げない。那覇市民の心からも随分遠くなったもんだ。
もう説明不要だと思うが、かつて沖縄戦で史上最大の凄惨な地上戦がこの一帯で行われた。74年前のちょうど今頃、圧倒的な物量を誇るアメリカ海兵隊に対して我が日本軍が勇敢にそして互角に戦い、1週間に渡りこの地でアメリカ軍に地獄を見せた。
地形を利用した陣地を構築していた日本軍は、前進してくるアメリカ海兵隊を何度も撃破した。
▲那覇おもろまちにある免税店DFSギャラリアの道路を隔てた向かい側
しかし、買い物客はおろか、シュガーローフの隣にある東横インの宿泊客ですら興味を示す者は殆んどいない。
▲貪るように読んだ本。アメリカで出版された本を、当時ふつうの一般のサラリーマンだった方が翻訳して出版にこぎつけた力作だ。
▲「あの日」アメリカ軍はメインプレイス方面から進軍してきた。
▲攻撃目標はシュガーローフ・ヒル。アメリカ軍が勝手に名付けた。ちなみに日本軍の呼び名は安里52高地。この丘から慶良間諸島が見えたことから「慶良間チージ(キラマチージ)」とも呼ばれたそうだ。
が、
▲登ったところで本当に全く何の意味もない(なくなってしまった)展望台
▲戦地に辛うじて存在する小さなモニュメント
▲使われている写真は前田高地だし(苦笑)
▲日米両軍が死闘を繰り広げた場所は、現在は那覇市水道局のタンクが建つという、正直残念な光景
▲残念といえば、DQNにいたずらされて閉鎖になった公衆トイレ(苦笑)
▲シュガーローフからホースシューと呼ばれた地域(安里)を望む。馬の蹄に見えたというこの地域は実際歩いてみたが、その形跡は微塵もない。
ここで、ちょっと古い写真をお借りした
▲かつて与那原~首里~嘉手納を結んでいた軽便鉄道(ケービン)の線路を破壊してまで展開された戦闘だが、
ちょうどこのあたりの光景だ。
画像左の不自然な競り上がりが、古い写真のほうの右側の競り上がりの名残りである。戦時中からのものがこうして形は変わりながらも残っている。
▲ハーフムーン方面から見たシュガーローフ
丘の裾野は今のおもろまち駅あたりまで続いていたようだが、今ではそれこそ蒸しパンというかカップケーキのような形になったシュガーローフ。
最後に・・・
そういう終わりかたなのね( ̄0 ̄;)