カツオの独り言~那覇の酒場から酔狂日記~

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仏壇通りの今

与儀十字路から開南バス停に向かう道が通称「仏壇通り」と呼ばれていることは観光客以外にはよく知られた話だが、一部ガイドブックやネットの地図にはきちんと「仏壇通り」の記載があるのが驚きである。というか、ある意味「当たり前」かもしれん。

戦後、那覇のめぼしい土地はほぼアメリカ軍に接収されたそうだが、開南地区は比較的土地の入手がしやすかったとも聞く。

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今ではこんな立派な建物になったが、業界の老舗中の老舗、照屋漆器店さんが戦後間もなくこの地に移ってきて商売を始め、それに吸い寄せられるように多くの仏壇・仏具店がこの界隈に集まり、仏壇通りを形成し、最盛期には30を超す店舗が軒を連ねていたそうだ。

そして戦火で自宅の仏壇や位牌を失った人々が新たなものを買いにこの仏壇通りに殺到したという。
どれくらいの盛況ぶりだったかというと、ウィンドウズ95やドラクエの発売日の光景を思い出してほしい。あれがずっと続いたんだよ。

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▲しかし、産業の斜陽化・・・というより、延々と続く樋川、開南地区の再開発に伴う道路拡張や区画整理により、多くの店舗が立ち退きを余儀なくされたという。
いつしか1本奥に入ったところにあったはずの建物がフロントに押し出されるような形になり、またこのうらぶれた雰囲気が郷愁を誘う。

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右は開南郵便局だ。写真には映っていないが、旧農連市場地区は昔の面影がないくらい再開発が継続中で、マンションが建設中である。
画像左側、数多の店舗が立ち並んだ場所はどんどん道路の拡張中。
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▲今では巨大な照屋漆器店のビルが、辛うじて仏壇通りの名前を守っているだけだ。

那覇の町からは昭和はおろか平成すら消えていこうとしているのである。半年前に買った旅行ガイドブックが役に立たない、かもしれない。