カツオの独り言~那覇の酒場から酔狂日記~

アイドルから沖縄ローカルネタまで。くだらない(実はとってもためになる)マニアックな情報を発信しています。

国際ショッピングセンターの話③

まぁ、今回のネタもヤフー知恵袋の低レベルな回答者たちのように、適当にネットから情報を引っ張ってきたやつをあたかも自分の知識のように書いていたらもっと詳しい記事が書けたかもしれないが、こちらはただ単に遠い記憶だけを頼りに書いていますんで物足りない内容かもしれません。

さて、その今は亡き国際ショッピングセンター。「行ってみたかったですね~」なんて言葉も届いていますが、私は照屋レコード店嘉手苅林昌のCDを買ったことがある。
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▲現物
ナークニー~山原手間当の流れがイギリスのパンクロックバンド・ダムドの4枚目のアルバム「ブラックアルバム」の1、2曲目Wait For The Blackout
~Lively Artsの流れに似ていると、当時の音楽好きの仲間に力説した覚えがある。
今からでも遅くない。ちょっとでも音楽に詳しい人は聞き比べてみてほしい。

国際ショッピングセンターにはお土産屋と地元民向けの店が混在する場所だった。
1、2階に求陽堂があり、2階は「難しい本が売ってる店」で通っていた(笑)
確か1階にはボーイフレンドという洋服屋があったが、当時の沖縄にしてはおしゃれな店だったな。
3階に琉映ボウルというボーリング場があり、スコアは手書き。書き方の知らない私は全部友達に書かせておった。(笑)
トップカルダンという学生服屋があり、ヤンキー御用達だった。
あとはスポーツ用品店や沖縄では珍しい回転寿司屋なんかはあったが、他に何があったかなぁ?
問題は地下だった。全盛期は飲食店街だったが、記憶にあるのはゲーセンとカレー屋と平和食堂(?←うろ覚え)だ。
ネットでちょっと古い写真を拝借させていただいた。
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▲これよ!これこれ。超人気のカレー屋。こことタイタンが呉越同舟しておった。
私はインディアン派(笑)

で、確かね、エスカレーターの近くに市販のスーファミやテレビゲームをお客から金取って(時間制)やらせているアナーキーなゲーム屋があった。
そんなのが許される場所である。(笑)
人気のゲームセンターは「天才」という店があったよね。
そして、この国際ショッピングセンターも晩年は空き店舗が目立つようになり、建物内の治安も悪化する一方であった。ぶっちゃけヤンキーの巣窟になっていたのである。
地下のゲーセンでは当たり前のようにカツアゲが横行していたという。特に標的になりやすい小・中学生や進学高の沖縄◯学生は、自衛手段としてはグループで固まるしかなかった。
「そもそも行かない」という選択肢がないのがてーげーだな。

あれはいつの日だったか、私(既に成人)は4階だか3階にいた。
階段付近に数名のヤンキーが溜まっておった。
「ややこしいなぁ~」
「勝てるかなぁ~?」
「いざとなったら一番弱そうな奴の首締めて、こいつを◯すぞ!どっか行け~!」とかやろうと思っていたが、

実は意外とフレンドリーな奴らで、

お土産屋の店頭にある試飲用の泡盛をいきなり勧めてきた。
意表を突いた行動である。
こちらもせっかくの酒だからと頂いて、ヤンキーにもついであげた。そうこうしているうちに結局720ml瓶1本を数人で空にしてしまった。
店の人が出てきたのでみんなで逃げた。
あまり会話もせずに、逃げてそれっきりだったが、あの時の連中にはまた会ってみたいなと思った。
友人は昔玉泉洞の土産物屋で、売り物の泡盛を試飲用と勘違いして開封して半分飲んだ。
試飲で半分というのが既にあり得ないのだが、謝ってそれを買って許してもらった。
昔は最後のエスカレーターを上がったところにお土産屋があったんだよな。

国際通りから地元民、観光客問わず若者が本当に遊ぶ場所がなくなって久しい。
サイコロも今では我如古より子さんの民謡居酒屋になったし、小劇場のジアンジアンも民謡居酒屋になってしまった。
映画館も既にない。
こんな街を沖縄最大の繁華街なんてもてはやしていいものか?
時々疑問に思う。