カツオの独り言~那覇の酒場から酔狂日記~

アイドルから沖縄ローカルネタまで。くだらない(実はとってもためになる)マニアックな情報を発信しています。

丸国マーケットは今日も夕暮れ

引き続き懐古シリーズが続きます。

さて、
人に道を教える時、
浮島通りと言うべきか?
サンライズなはと言うべきか?
平和通りのちょっと先と言うべきか?

いずれにせよ、そうやって多くの通りが交差する人員往来の要所だったってことだ。

観光客はよほどの目的でもない限りあまり足を踏み入れないエリア。
やちむん通りから平和通りに入ってくる人や、ついつい前に進んでしまった人などは見かけたことはあるだろう。
でも「寂れたアーケード街の潰れた店」程度の認識しかないと思う。

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▲1階に刺繍屋があり、2階はリトルアジアというゲストハウス。月イチのサンライズマルシェの時は屋台や移動販売車が出る。

そんな丸国マーケットは、もう30年以上前になるんだろうか?
「全盛期」で通りも賑やかだった頃には2階に洋服の仕立屋が大挙してテナントを持っていた。
ここで昔の学生たちは学校の制服を仕立てておったのだ。
既製品より若干高い程度で、しかも「そでを詰めてくれ」「丈を詰めてくれ」「スカートの色をもっと濃く」なんて細かい注文が効くとくれば、ガキのハート鷲掴みであろう。
今のマルシェの日以上にこの界隈は流行っておった。
仕立てのシステムは、学校ごとに店(おばちゃん)が決まっていて、例えばA中は比嘉さん、B中は照屋さん、西原は平良さん・・・という具合に。
理由は考えたこともないが、単純に負担軽減、当然学校によって制服が若干異なる、おばちゃんが平等に儲けられるように、といったところだろう。

しかし、人と群れるのが好きなはずなのに、人と同じ制服がイヤな「こだわる学生」たちは店を「越境」し、他校御用達の店で仕立ててもらっていた。
おしゃれに対する執念やこういう時にだけ回る知恵がすごいよね。(笑)

そこで、これだけ毎日中学生が大金を持って集まる場所が不良に目をつけられないはずもなく、国際ショッピングセンターと並んで丸国の周辺もカツアゲ危険地帯であった。(笑)
と、いうか、80~90年代の那覇って治安悪すぎ。(苦笑)
開南のバス停から丸国へ向かう通りは修羅場だったらしい。
今ではそんな面影は微塵もなく、建物が残って何かしらの店が営業している(要するに人の温度がある)のが逆に有り難く感じる。
サンライズやこのあたりは雰囲気的に大阪の空堀通商店街と同じ匂いがする。
あちらはあちらで、お洒落な店がポツポツできたりして大阪の隠れた人気スポットになっているが、牧志公設市場の改修工事をチャンスに、樋川、開南、壺屋は、ちょっと気合いを入れて観光客を呼び込む良いチャンスだと思うんだがな。