カツオの独り言~那覇の酒場から酔狂日記~

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サンライズなは

大阪の地下鉄・長堀鶴見緑地線松屋町」駅から程近い高台にいきなりこれがある。▼
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ちょっと坂道を登ったところにアーケード街があるなんて、なかなか見られない光景だ。
特に朝行くと当然人通りもなく店もやっていないから「この場所は生きているのか?」とある種の異様な光景に圧倒される。

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歴史に疎い人や興味のない人にはちっとも面白くない話だが、その名前の通りかつてこのあたりには豊臣時代の大阪城を守るための空堀があった場所だ。
真田丸のあった場所がそうではなく、南惣構(みなみそうがまえ)と言われたこの辺りが大阪城の真の最脆弱部だったと言われており、徳川も大坂冬の陣の講和の後で当然ながらこの空堀を埋めさせた。
その後も徹底的にこの周辺は破壊され、今では本来歴史的価値がとてつもなく高いものになるはずだった空堀の痕跡は全くない。
「だいたいこのあたりだろう」というのも見当つかない。

さて、この空堀商店街って、よく似た場所をどこかで見かけたなぁと思っていたら、

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▲ここじゃった

松屋町天王寺方面に歩いて行くと駄菓子の問屋をちらほら見かけるし、あまり大きな声では言えないが違法民泊らしきマンションもかなりある。

似てるじゃん。

さて、サンライズなはが人員往来の要所であることは以前どこかで述べたが、
よく調べてみたら、平和通り、新天地市場本通り、大平通り、えびす通り、開南せせらぎ通り、開南中央通り、開南本通り、浮島通り、神原大通りと交差しておる。
昔の上野駅みたいだな。

それもそのはず、開南はかつては那覇の裏玄関で、南部からのバスがみんなここに来たという。当時の賑わいについてはよくわからないが、バス停と那覇高校の間に映画館があったくらいだからな。

そしてサンライズなはは昔は新栄通りと呼ばれていてもともとは青空市が開かれていたらしい。
ちなみに公募で今の名前になった。

昼間は見ての通りのシャッター街
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もし、観光客が来るとしたら、道に迷ってしまったか、平和通りからズンズン進んできたか、
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▲Jefか「ここ」目当ての人か、だろう。
チャ○リーもいいけど、わざわざ赤とんぼに来る価値も十分あるぜ!?

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▲通称インツー。国際通り沿いの本店が潰れて2号店が残った稀有な例だ。

夜はセンベロ街として賑わい、月1のマルシェでも朝から賑わうサンライズなはだが、普段の昼間は人通りも少なく寂しい場所である。
だからって空き店舗に韓流ショップが入っても逆に風情がなくなって困るんだが、今となってはそれでもいいかもしれないと思えてくる。

現在進行形の開南、樋川の再開発にメドがついたらまた人の往来が増えるのかな?

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▲開南せせらぎ通り側のサンライズ入口だ。