カツオの独り言~那覇の酒場から酔狂日記~

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火の玉ホールとゼノン

ちょっと前に十貫瀬にある看板を出していない秘密の(そうでもないか・・・)店に食事に行った。
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▲本当は会長はいません(笑)
ここはかつてディスコというかクラブというか、火の玉ホールという人気の店があった場所だ。
覚えている人いるのかな?
その前は「アキラ」という店だったと思う。
那覇のディスコといえば、マハラジャやエイリーが主流だったが、繁華街からちょっと離れた、当時(89年~)はまだまだ何となく怖くて近寄り難かったこの地に、なんとも異彩を放つクラブがあったのだ。
ネットから拝借しようにも写真はほぼ残っていないので記憶だけを頼りに振り返ると、東京から帰ってきたキーチさんという方が東京で得たノウハウを元に始めた店だ。
テーブルには泡盛ではなくフォアローゼスやワイルドターキーのボトルが置かれていたと思う。
ハードコアパンクのライブには通っていた私だが、いきがった小僧がライブ中にガーゼのフグさんに凄まれて震えてギャン泣きしている場面にも遭遇したことはあるが(笑)、それでも火の玉ホールは怖かった。

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「怖かった~♥️」

その後火の玉ホールは開南郵便局の裏~おもろまちと移転し、経営者が新しいビジネスを始めるとかでスパッと営業を止めてしまった。流行っていたのにあまりにも格好良すぎる幕引きだった。

で、現在営業中の店だが、とにかく丁寧だ。コース料理で最後にデザートが出てくるまでみっちり2時間半。前菜何だったか忘れたよ(笑)

一方、ゼノンとは北谷の北前にあったディスコで、建物自体はまだ残っている。写真出せないのが申し訳ない。
しかも、あんなハードコアなスポットが当時の「るるぶ沖縄」に呑気に紹介されておったのだ。
世の中ヒップホップブームの波が来てたからね。

場所柄、お客の8割(推定)は、


普天間基地海兵隊の隊員(苦笑)

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▲写真は本文とは関係ありませんが・・・


ヘタレな私は怖かった(笑)

折しもゼノンに行った時はクウェートイラクが侵攻し、後の湾岸戦争が始まる頃だ。

彼らは命令が下れば明日にでも人を○しに行く連中なんだ。

ま、女じゃないから見向きもされず(笑)、何も危険なこともなく無事に帰ってきたが。

コザの「ピラミッド」も懐かしいし、なんかまたそうやって若者が集まる場所ができないもんかね?