津波
ウチのテレビはWi-FiでYouTubeが見れるので、私は今ではテレビ番組よりももっぱらYouTubeで音楽やお笑いの動画を見る時間のほうが長くなった。
しかし、
ある日、それまで関連動画を見た記憶や履歴が全くないのに、「おすすめ動画」に東日本大震災における津波の動画か入るようになった。
東北地方太平洋岸といえば、観光で訪れたこともあれば、居住したこともある。仕事で訪れたこともあれば知人もいる。
だからあの時は只事ではなかった。
家が流され、避難所生活を余儀なくされた知人や津波の犠牲になった知人もいる。
弟の後輩で宮城県で高校教師になった奴がいるという。昔の矢本町、今の東松島市で被災したらしい。
とにかく逃げなくてはならなかった。
後ろを振り返る余裕は全くなかったそうだ。
「キャー」
「うわーっ!」
「助けて~」
悲鳴や悲痛な叫びが後ろから聞こえたという。
でも、ただひたすら前を向いて息が切れても走らなくてはならなかったそうだ。
未だに良心の呵責にさいなまれているらしい。
逃げるだけで精一杯だった自分。
犠牲になった生徒もいたこと。
しかし、立ち止まって振り返った瞬間自分が津波に飲まれていたのだ。
無力な自分は1ヶ月の稼ぎくらいの寄付しかできなかった。
日本赤十字や中央共同募金なんてのは全く信頼できないので、信頼できる人に託した。
私と同じ中日ドラゴンズファンで、大ファンである石ノ森章太郎記念館に数十万円の寄付をした方を知っている。「漢」だ。
さて、1回動画を見ると次から次へと津波の動画が出てくる。
正直見たくはない。
見なければいい。
しかし、愛着のある場所が完膚なきまでに破壊されたという現実は忘れたくはなかった。
▼釜石市役所前
https://youtu.be/aQj2zn5Axmk
あまり必死に見ないほうがいい。正面の道路の画面左側を、体力的に走ることもできないのか、男女2人の老人が歩いているのが見える。
「えっ!?」
「あれ、完璧に飲み込まれたじゃないですか・・・」
「周りの人何やってんすか!?」
▼宮城県亘理町・荒浜小学校
https://youtu.be/d-sWMsFCqsk
例えが不謹慎かもしれないが、早く避難した人からはまさに「志村~!後ろ~!!」のような必死の叫びが聞こえた。
すぐ背後にとんでもない巨大津波が襲来しているにもかかわらず、まるで近所の寄合いにでも向かうかのようにモサモサしながら歩いている住民の姿がなんとも歯がゆい。
▼タイ・ピピ島
https://youtu.be/96K42JotDfQ
スマトラ沖地震の時、沖合いで津波でひっくり返る船を見てみんな笑っていたそうな。この、冒頭の女性と撮影者もすっかり津波をナメくさっていた。
▼宮城県・名取川流域
https://youtu.be/P0q3Q7Igy2E
この手の関連動画を見ていると、津波が来ていることに全く気づかないのか、のんきに(?)車を走らせているシーンを多々見かける。センシティブな光景の数々を我々は見ることになるが、もし、万が一、世界のどこかで津波に遭遇したら、「車は諦めろ」「早く高いところに上がれ」をいい加減身に染みてわかったであろう。
▼東北放送の記者が見た津波
https://youtu.be/ugzG3V_ckEY
とある場面で、「俺の車が~」と嘆く人がいる傍ら、もう何もかも諦めた悟りの境地なのか、笑い声のような、飲み屋で交わすかのような会話が聞こえてくる
これらの動画を見て感じたことは、まだまだ多くの人が津波を甘く見ていたことだ。
地震が発生する→揺れる→揺れが収まる→間髪入れず津波が来る?
いくらなんでも「間髪入れず」はないわけで、30分くらいなら逃げる猶予はあるはずなのである。
東北地方太平洋岸の地域というのは、かつてのチリ地震の津波を経験しており、津波に対する危機感は持っていて、町もそういった造りになっている。
日本製紙石巻をはじめ沿岸部の工場は避難訓練もやっていたと聞く。実際は協力会社の社員さんに犠牲者が出ていたらしいが、社員全員が無事避難した日本製紙石巻のことは新聞記事にもなった。
しかも東スポ(苦笑)
だからこそ、数年前の動画で、それをテレビで見ているだけの私も思わず、
「志村~!後ろ~!後ろ~!」の気分であった。
▲「志村~!後ろ~!後ろ~!」
今回の記事を読んでくれた方、
どんなことでも常に最悪の事態を想定しましょうよ。小学校の集団登校の列には何故か車が突っ込むのが珍しくない世の中なんですよ。くれぐれも加害者にならないように。
いろいろなことを考えさせられる「おすすめ動画」の数々でした。
沈んだ気分のまま1日を終えても眠れないから、笑って寝る。
武内亨「蹴ったよね!?」